剣舞の舞台芸能としての起源は、明治六年に、剣術家・榊原鍵吉が、剣術道場衰退への対策として始めた撃剣興行です。これは、相撲興行に
倣って剣術の試合を大衆に見せるものですが、試合の合間の余興として剣舞を行ったことで、一躍世に知られることになりました。撃剣興行、
そして剣舞は全国でまたたく間に場を増やし、人気を博しました。そのうちに、撃剣家の一人、日比野雷風が東京で神刀流を創流し、吟士に合わせて剣士が舞う現在の剣舞のスタイルを確立しました。神刀流の他にもいくつかの元となる流派があり、そ
れらからの分派を経て、いわゆるお稽古ごととしての剣舞が世に定着しました。
剣舞にとって直接の源流といえば、やはり江戸末期に昌平坂(しょうへいざか)学問所の学生が酒に酔って漢詩を吟じつつ刀を抜いたというのが有名で、一番分かりやすいスタートといえるでしょう。剣舞家の中には、刀は簡単に抜くものではないという武道的な考えから、この説を嫌う人もいます。ただ、筆者にとってはこのエピソードこそ、剣舞の起源として重要だと思っています。
昌平坂学問所といえば、現在の東京大学です。列強が日本に押し寄せる中、勉学に励む学生が国の行く末を憂いて漢詩を詠み、刀を抜いて気持ちを表現したことは、剣舞を舞う動機(なぜ武士が剣を抜いて舞う必要があったのかの理由)として、とても納得がいくように思いますし、他の芸能にはないオリジナルの価値観ではないかと思います。